【市川一家4人殺害事件】死刑囚に取り憑いた被害者の霊⁉︎

この記事を読むのに必要な時間は約 7 分です。

要点をざっくり

  • 事件当時、19歳だった関光彦死刑囚(44)の死刑が19日に執行された。
  • この事件は平成4年に、関死刑囚が千葉県市川市で一家4人を殺害し現金を奪ったもの。
  • この関死刑囚は面会した弁護士に、「4人がいつも自分にくっついていて、おまえを許せないと言っているようで苦しい」とかつて話していたという。

市川一家4人殺害事件とは

事件の始まり

この事件は関光彦 (当時19歳 )が1992年の2月中旬、市川市内でたまたま通りかかった会社経営者の男性(当時42)の長女(当時15)を暴行し、奪っていた身分証明書から経営者一家の住所を知ったことから始まりました

当時、関はトラブルからヤクザに200万円を要求され追い込みをかけられていました。

関自身は家庭で父親からDVを受けたり両親が離婚したり、かなり酷い家庭環境で育っています。

長女のマンションに侵入

関 が1992年3月5日17時頃にこの長女宅のマンションに押し入り、寝ていた長女の祖母(当時83)に預金通帳の場所を聞きますが知らないと言われ、首をビニール製コードで絞めて殺します。

今度は長女が母親と一緒に帰宅したところを監禁し、長女の目の前で、母親(当時36)の背中を包丁で刺し殺しました。

この時に床が血だらけになり、長女に掃除をさせます。

長女は恐怖で凍りつきながら掃除をしたといいます。

間も無く保母さんと一緒に次女(当時4歳)が帰宅し、長女に夕ご飯を作らせ3人でご飯を食べた後、この次女は祖母が死んでいるのもわからずに、祖母の遺体の近くで寝てしまいます。

父親が帰宅後預金通帳を奪う


通帳と印鑑の場所を知っている父親が帰宅した際に、その肩を包丁で刺して預金通帳のありかを聞き出し約360万円の預金通帳を強奪しますが、関はそれでは飽き足らず、父親の会社に長女とともに別の預金通帳を取りに行きます。

父親の会社では同僚たちが、長女の様子に「大丈夫か」と聞きましたが長女は大丈夫ですと答えて通帳と印鑑をとって家に戻ります。

その間に一足早くマンションに戻った関が父親とどめを刺していました

警察に逮捕される

朝になって同僚から電話があり長女が電話に出ましたが、関がいきなり電話を切ったので怪しく思ったその同僚が警察に通報します。

その後妹が泣き出したため、関は包丁で妹を刺します

包丁は背中から胸まで貫通しました

それを見て長女に苦しいだろうから妹にとどめを刺せと言いましたが、長女は呆然としていて動かなかったため関が妹の首を絞めて殺します

そして妹を殺したことで初めて抵抗した長女に、包丁で腕や背中を切りつけました。

この時、会社の同僚から連絡を受けていた警察がマンションに踏み込みます。

関は警察に踏み込まれた際に、長女に包丁を持たせ罪を逃れようとしましたが、結局逮捕されました。

関被告は平成元年の「女子高生コンクリート詰め事件」で犯人が未成年であったことから誰も死刑になっておらず、「俺なんか楽勝でしょ」などどたかをくくっていたようです。
関被告はほかに、行きずりの女性を強姦したり、路上ですれ違った車の運転手に傷害を与えたりするなど、1991年10月から一家殺害直後に逮捕されるまでの約5カ月間に計14の犯罪を繰り返していました。

死刑が求刑

関被告は未成年ではありましたが、残忍な殺し方や長女に犯行をなすりつけようとしたりまったく反省していない態度から死刑が求刑されたものです。


一 審 1994年8月8日 千葉地裁 神作良二裁判長 死刑判決
控訴審 1996年7月2日 東京高裁 神田忠治裁判長 控訴棄却 死刑判決支持
上告審 2001年12月3日 最高裁第二小法廷 亀山継夫裁判長 上告棄却 死刑確定
拘置先 東京拘置所
少年被告の死刑確定は、統計を取った1966年以降、9人目。
その後 再審請求中。

 そして19日に死刑が執行されました。

 

獄中の関被告

関被告の弁護人を務めていた一場順子弁護士によると、最近は2カ月に1回ほど面会し、最後に会ったのは10月末だそうです。

関被告は新聞をよく読んでいたといい、小説の「ハリー・ポッター」や雑誌を差し入れていたそうです。

面会時には気候や体調など、たわいもない話が多く、本人も落ち着いていた様子だったが、かつては「4人がいつも自分にくっついていて、おまえのことを許せないと言っているようで苦しい」と打ち明けたこともあったとのことです。

 

f:id:gbh06101:20171220221112j:plain

 

これほどの凶悪な事件を起こした犯人とは思えない言葉で、私は非常に気になりました。

 

本当に死んだ人間が取り憑くのか

おそらく大体の人はこの関被告の「4人がいつもくっついていて・・・」を良心の呵責からくる幻想だというと思います。

先日あった、富岡八幡宮の犯人の弟が出した手紙には「実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」書いてありました。

元宮司ならば、これくらいはできるのかなあと私は思っています。

前出の「女子高生コンクリート詰め事件」はこの事件よりさらに陰惨な事件で、内容を書くと吐き気をもよおすほどの事件です。

それでもこの当時少年だった犯人たちは、週刊誌によるとすでに出所し元気にまた悪行に励んでいるようです。

もし全ての殺人事件の犯人がその霊に取り憑かれていたら、この犯人たちはピンピンしていないでしょう。

ただあの有名なギャングであるアル・カポネでさえ霊に取り憑かれて苦しんだという話もあります。

私は亡くなった人間の恨みの深さや霊能力?によって、加害者に対する力が違うのかなあという見解です。

幽霊のみえる私の奥様にも、殺された被害者が加害者に霊として取り憑くことがあるのか聞いてみましたが、軽く「あるんじゃない」という回答でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です